先日、知らない番号からメッセージが届いた。
「久しぶり。覚えてる?」
この時点で大体ろくでもない。
元カレ。
既婚者。
副業勧誘。
恋愛コラムを書いていると、人生の地雷原みたいなメッセージが時々飛んでくる。
でも今回は違った。
表示された名前を見て、わたしは少しだけ眉を上げた。
あら。
懐かしいじゃない。
社会人になりたての頃、何度かアプローチしてきた男性だった。
当時の彼は一言で言うなら――余裕がない。
悪い人じゃなかった。
むしろ真面目だったし、誠実だったと思う。
でも、わたしには刺さらなかった。
LINEは長い。
返信は早い。
褒め方は少し不自然。
「好きです」が全身から漏れているのに、肝心なところで踏み込めない。
恋愛って残酷よね。
優しいだけじゃダメ。
誠実なだけでもダメ。
タイミングとか空気とか、その時の自分とか。
そういう説明できないもので決まることがある。
結局わたしたちは何も始まらないまま終わった。
……終わったはずだった。
「今度ご飯でもどう?」
送られてきたメッセージを見ながら、わたしは少し考える。
正直、ときめきはない。
復縁したいわけでもない。
そもそも付き合ってもいない。
でも。
最近ちょっとネタ不足なのよね。
恋活アプリもやった。
取材デートもした。
弟子志願の女子大生まで現れた。
となると次は――。
昔わたしを好きだった男と再会したらどうなるのか。
悪くない。
むしろ記事になりそう。
そう思った時点で、たぶん恋愛向きの女ではない。
でも今さら治す気もない。
わたしはスマホを手に取った。
「いいですよ」
送信。
数秒後。
「本当?ありがとう」
相変わらず返信は早かった。
……。
ふふ。
さて。
あの頃の余裕のない男は、今どうなっているのかしら。


採点開始よ
待ち合わせ場所に着いたのは約束の五分前だった。
別に急いだわけじゃない。
わたしは基本的に待つのが嫌いなだけ。
人を待つのも嫌い。
待たせるのも嫌い。
だから少し早く着く。
すると。
いた。
すでにいた。
約束の五分前。
スマホをいじるでもなく、落ち着いた様子で待っている。
わたしは思わず時計を確認した。
まだ五分前。
ふうん。
待ち合わせ、70点。
社会人としては当たり前。
でも恋愛市場では加点対象よ。
遅刻してこない男は、それだけで貴重だから。
「久しぶり」
先に声をかけてきたのは向こうだった。
昔みたいなぎこちなさはない。
自然な笑顔。
自然な声量。
自然な距離感。
……。
あら。
ちゃんと大人になってるじゃない。
昔の彼なら違った。
たぶん少し緊張していた。
目も泳いでいたと思う。
変にテンションが高かったかもしれない。
でも今日は違う。
肩の力が抜けている。
いい意味で、わたしに期待しすぎていない。
これは大事。
恋愛ってね。
好きになりすぎると不自然になるのよ。
そして不自然さはだいたい相手に伝わる。
怖いわね。
女の勘って。
店へ向かいながら近況を話す。
仕事のこと。
休日のこと。
最近見た映画のこと。
話題の振り方が自然だった。
昔は違ったのよ。
質問。
質問。
また質問。
まるで面接。
恋愛版ハローワークみたいになっていた。
でも今日は違う。
ちゃんと会話になっている。
キャッチボールができている。
会話、78点。
少し上から目線かしら。
でも仕方ない。
今日は取材みたいなものだもの。
店に入る。
選んだのは落ち着いたイタリアンだった。
高級店ではない。
安居酒屋でもない。
背伸びもしていない。
ケチってもいない。
絶妙。
昔の彼なら間違いなく高級店を予約していたと思う。
そして緊張しながらメニューを開き、会計で冷や汗をかく。
見栄を張る男は大変ね。
店選び、82点。
なかなか優秀。
少なくとも今のところ減点材料は見当たらない。
料理を待ちながら、わたしはふと考える。
もし。
もしこの状態の彼と、あの頃出会っていたら。
結果は違ったのかしら。
……。
まあ。
そういう仮定に意味はないわね。
人生は再テストじゃない。
でも認めるしかない。
昔のあなたより、今のあなたの方がずっと魅力的だわ。
その事実だけは、素直に認めてあげてもいいかもしれない。

あれ? この人、口説いてこないわね
料理が運ばれてくる。
ワインを注文する。
会話は不思議なくらい自然だった。
気まずさもない。
変な探り合いもない。
昔話も少し。
最近の話も少し。
気づけば一時間近く経っていた。
そこで、ふと違和感に気付く。
……。
あれ?
この人。
全然口説いてこないわね。
いや、別に口説いてほしいわけじゃないのよ。
勘違いしないでほしい。
ただ。
わたしは知っている。
昔の彼を。
あの頃の彼なら違った。
もっと褒めてきた。
もっと緊張していた。
もっと分かりやすかった。
でも今日は違う。
わたしを女性として扱ってはいる。
でも。
わたしに振り回されてはいない。
これが意外だった。
正直。
少しだけ意外だった。
恋愛って嫌なものでね。
余裕のない男には魅力を感じないのに。
余裕が出てくると急に良く見えたりする。
理不尽。
でも事実。
女も大概勝手な生き物なのよ。
もちろん男もね。
お互い様。
すると彼が笑いながら言った。
「昔は本当に余裕なかったんだよ」
……。
ほら来た。
本人も分かってるじゃない。
「そうなんですか?」
わざと知らない顔をする。
意地悪かしら。
まあ少しくらいは許されるでしょ。
「うん。今思うと恥ずかしい」
「ミサキさんのこと好きだったし」
「どうしたらいいか分からなかった」
さらっと言う。
昔なら言えなかったはずだ。
だから分かる。
この人は本当に変わった。
変わったというより。
成長した。
たぶん色々経験したのだろう。
仕事も。
恋愛も。
失敗も。
成功も。
そういうものが少しずつ人を大人にする。
わたしはワインを飲みながら考える。
あの頃のあなたは0点だった。
今のあなたなら結構高得点。
でも。
皮肉なものよね。
今のあなただから魅力的なのに。
今のあなただから、もうわたしを追いかけていない。
人生ってだいたいそう。
欲しい時には手に入らなくて。
手に入る頃には欲しくなくなっている。
まるでセール品みたい。
……。
我ながら嫌な例えね。
でも嫌いじゃないわ。

いい男になったじゃない
食事も終盤に差しかかっていた。
ワインも二杯目。
会話は途切れない。
でも。
恋の空気はない。
少なくとも向こうからは。
それが少し面白かった。
昔なら違ったはずだから。
「ミサキさんは変わらないね」
彼が笑う。
「そうですか?」
「うん」
「昔から自分を持ってた」
「欲しいものがはっきりしてたし」
……。
ふふ。
それは褒めているのかしら。
それとも面倒くさいと言っているのかしら。
たぶん両方ね。
でも嫌な感じはしなかった。
むしろ。
ちゃんと見ていたのね。
少しだけ感心する。
昔の彼は自分のことで精一杯だった。
だからわたしを見ているようで見ていなかった。
でも今は違う。
相手を見る余裕がある。
これ大きい。
恋愛だけじゃなく。
人として。
総合評価、85点。
かなり高得点。
わたし基準ではね。
もっとも。
わたしの評価なんて大して当てにならない。
好きになる時は0点でも好きになるし。
興味がなければ100点でも恋愛対象にならない。
恋愛コラムを書いている人間が言うことじゃないけど。
恋愛って理不尽なのよ。
本当に。
すると彼が言った。
「そういえば」
「あの頃振られた時、結構へこんだんだよ」
……。
あら。
そんな話するのね。
普通なら気まずい。
でも不思議と気まずくない。
たぶん本人の中で終わっているからだ。
傷が傷じゃなくなった人は強い。
「ごめんなさいね」
わたしが言うと。
彼は笑った。
「いや」
「今なら分かる」
「あの頃の俺、選ばれなくて当然だったし」
……。
それを言えるようになったのか。
なるほど。
いい男になったわけだ。
昔の彼なら。
きっとわたしを責めた。
もしくは自分を責めた。
でも今は違う。
ただ事実として受け止めている。
大人ね。
少し悔しいくらい。
だって。
あの頃より今の方がずっと魅力的なんだもの。
「後悔してる?」
不意に聞かれた。
「何をですか?」
「俺を振ったこと」
……。
なるほど。
そう来たか。
わたしは少しだけ考える。
三秒。
いや。
二秒くらいだったかもしれない。
そして答えは決まっていた。
「してませんね」
即答だった。
彼は声を出して笑った。
わたしも笑った。
だって本当だもの。
後悔はしていない。
あの頃の彼を好きじゃなかった。
それは事実。
だから選ばなかった。
ただ。
ひとつだけ思うことはある。
昔のあなたじゃなくて、今のあなたと出会っていたら。
もう少し面白い話になっていたかもしれないわね。


悪くない。でも、それだけじゃダメなのよ
店を出る。
夜風が少し気持ちいい。
駅までは歩いて数分。
自然と並んで歩く。
変な沈黙もない。
無理に会話を繋ごうとする感じもない。
昔の彼なら絶対にそうだった。
沈黙を恐れていたから。
でも今は違う。
黙って歩くことを怖がっていない。
……。
本当に変わったわね。
わたしは少しだけ感心していた。
正直。
ここまで良い意味で裏切られるとは思っていなかった。
もっと昔のままかと思っていた。
もしくは変な方向にこじらせているか。
でも違った。
ちゃんと歳を重ねていた。
ちゃんと大人になっていた。
それは素直に素敵なことだと思う。
すると駅前が見えてきた。
もうすぐ解散。
そんなタイミングで彼が言う。
「今日は楽しかった」
「また時間があったらご飯でも行こう」
……。
自然。
ものすごく自然。
昔みたいな必死さはない。
かといって冷たくもない。
押し付けない。
でも好意は伝わる。
帰り際、88点。
危うく高得点をつけるところだった。
いや、もうつけてるわね。
認めるしかない。
かなり良い男になっている。
恋愛コラム的に言うなら。
昔より確実にモテる。
たぶん普通にモテる。
悔しいけど。
たぶんモテる。
だからこそ。
わたしは少し不思議な気持ちになった。
今の彼なら。
今の彼なら付き合う女性もいるだろう。
好きになる女性もいるだろう。
それなのに。
なぜか自分は違う側にいる。
恋愛って本当に変なものね。
「そうですね」
わたしは笑う。
嘘じゃない。
本当に楽しかった。
でも。
胸は動かなかった。
ドキドキもしない。
帰ったあとに何度も思い出すこともないだろう。
その理由を考える。
そして気付く。
わたし。
「悪くない」では動けないのよ。
困ったことに。
昔からそう。
夢中になるか。
強烈に興味を持つか。
人生が少し変わりそうな予感がするか。
そのどれかが必要。
だから。
今夜の彼は高得点だった。
でも満点ではなかった。
たぶん彼が悪いんじゃない。
わたしの問題。
強欲と書いてミサキと読む。
そんな女だから。
普通の幸せを差し出されても。
つい。
もっと面白いものを探してしまう。
本当に面倒な性格ね。
自分でもそう思うわ。

男は変わる。でもタイミングまでは合わせてくれない
帰宅して靴を脱ぐ。
バッグをソファに放り投げる。
冷蔵庫を開ける。
いつものぬか漬けを取り出す。
今日の戦利品は特になし。
連絡先は元々知っている。
恋も始まらなかった。
でも。
記事のネタは手に入った。
それだけで十分かもしれない。
……いや。
十分じゃないわね。
わたしは強欲だから。
ふふ。
困ったものだわ。
ぬか漬けをひと口食べながら、今日のことを思い返す。
正直。
いい男になっていた。
昔の彼を知っているから余計に分かる。
仕事をして。
失敗して。
恋もして。
たぶん色々なものを乗り越えてきたのだろう。
その結果が今日の彼だった。
だから思う。
男は変わる。
本当に変わる。
恋愛記事でよく見るじゃない。
「彼は変わりますか?」って。
あれ。
変わる人は変わる。
ちゃんと。
びっくりするくらい。
でも。
ひとつだけ問題がある。
タイミングまでは合わせてくれないのよ。
あの頃の彼は、わたしを好きだった。
でも魅力を感じなかった。
今の彼は魅力的だった。
でも恋にはならなかった。
人生ってそういうもの。
少しだけズレる。
少しだけ遅い。
少しだけ早い。
そしてその少しが案外大きい。
もし今の彼と昔出会っていたら。
――なんて考えても意味はない。
だって人生は再試験じゃないもの。
結果が出たあとに問題用紙は戻ってこない。
だから。
今日の結論。
いい男になったじゃない。
でも、それと恋に落ちるかは別の話。
恋愛って理不尽ね。
だから面白いのかもしれないけど。
さて。
次はどんなネタを探そうかしら。
恋か。
取材か。
それとももっと面白い何かか。
わたしはまだ、満足する気はない。




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