やらなきゃいけないことがあるのに。
なぜか、やる気が出ない日がある。
今日が、まさにそれだった。
記事の締め切りは、明日。
ネタもあるし、書けば終わる。
それなのに。
スマホを見て、ちょっとSNSを開いて。
気づいたら、どうでもいい動画を見てる。
ミユ:……やば。
時間だけが、じわじわ減っていく。
焦ってるのに。
動けない。
こういう日が、一番めんどくさい。

やらなきゃいけないのに動けない

とりあえず、パソコンは開いた。
えらい。
ここまでは順調。
真っ白な画面を見つめる。
……うん。
なにも出てこない。
ミユ:とりあえずコーヒーいれよ。
一旦、席を立つ。
戻ってくる。
座る。
……まだ書いてない。
ミユ:まあでも、こういうのって“気分”だからね。
スマホを手に取る。
ちょっとだけSNSをチェックする。
……のつもりが。
気づいたら、全然知らない人のルーティン動画を見ていた。
ミユ:なんでこれ見てんのあたし。
戻る。
パソコンを見る。
真っ白。
ミユ:……一回、部屋片付けるか。
なぜか掃除が始まる。
机を拭く。
引き出しを整理する。
昔のメモを見つけて、ちょっと読む。
ミユ:なつかし。
完全に脱線している。
気づいてはいる。
でも止められない。
しばらくして。
ふと我に返る。
ミユ:……いや、違う違う。
ミユ:あたし、いまやることあるじゃん。
パソコンに戻る。
座る。
……。
やっぱり、なにも出てこない。
ミユ:なんでこういうときだけ、急に無能になるの。
天井を見る。
時間を見る。
現実を見る。
ミユ:……やばい。
ちゃんとやばい。
でも。
体は、なぜか動かない。
とりあえず外に出る
数分、フリーズしたあと。
ミユはゆっくり立ち上がった。
ミユ:……だめだこれ。
このまま部屋にいても、たぶん何も進まない。
むしろ、さらにどうでもいいことを始める未来が見える。
ミユ:ちょっと外出よ。
理由はない。
ただ、この空気から逃げたかった。
財布とスマホだけ持って家を出る。
途中のコンビニでコーヒーと、なんとなくパンを買った。
特にお腹が空いてるわけじゃない。
でも、なぜかこういうときは買ってしまう。
気づいたら、いつもの公園に向かっていた。
理由はわかっている。
あそこに行けば。
だいたい、あいつがいるからだ。
ベンチの方を見る。
……いた。
いつも通りの姿で、ワニオが座っている。
特に何をしているわけでもない。
ただ、ぼーっとしている。
いや。
あれはたぶん、観察しているのだろう。
ミユ:ワニオー。
声をかける。
ワニオがゆっくり顔を上げた。
ワニオ:ミユさん。
相変わらずのテンションである。
ミユ:はいこれ。
ミユ:なんか食べてなさそうだから買ってきた。
パンを差し出す。
ワニオ:ありがとうございます。
ワニオは特に感情の起伏もなく受け取った。
でも、ちゃんと受け取るあたりがワニオだ。
ミユはそのまま隣に座る。
袋からパンを取り出して、一口かじる。
少しだけ、落ち着いた気がした。
ミユ:……ねえワニオ。
ミユ:あたし、今日やばいかも。
やる気が出ないのは、甘えなの?
ワニオはパンを持ったまま、ミユの方を見た。
表情はいつも通り。
無表情。
でも、ちゃんと聞く姿勢にはなっている。
ワニオ:どうしましたか。
ミユ:記事の締め切りが明日なの。
ワニオ:それは重要ですね。
ミユ:でしょ?なのにさ。
ミユ:全然やる気出ないの。
ワニオ:なるほど。
ミユ:パソコン開いて、コーヒー入れて、SNS見て、掃除して、昔のメモ見て、またパソコン戻って。
ミユ:結果、本文ゼロ文字。
ワニオ:移動距離はありましたね。
ミユ:そこ評価しないで。
ワニオはパンを一口かじった。
ワニオ:ミユさんは、やる気を待っていますね。
ミユ:待ってる。めっちゃ待ってる。
ミユ:でも来ない。既読無視されてる。
ワニオ:やる気は、待ち合わせに来るタイプではありません。
ミユ:なにそのタイプ分け。
ワニオ:やる気は、行動のあとについてくることが多いです。
ミユ:え、先に来てくれないの?
ワニオ:はい。
ワニオ:やる気は、先払いではなく後払いです。
ミユ:急に給与システムみたいに言うじゃん。
ワニオ:似ています。
ミユ:似てないと思う。
でも、言われてみれば少しわかる。
やり始めたら意外と進むことはある。
問題は、その最初の一歩が重すぎることだ。
ミユ:でもさ、最初の一歩が出ないんだよ。
ミユ:書き始めればいいのはわかってるの。でもそこまでが遠いの。
ワニオ:では、書こうとしすぎです。
ミユ:え?
ワニオ:いきなり記事を書こうとするから、重いのです。
ワニオ:まずは、タイトルだけでもいい。
ワニオ:一文だけでもいい。
ワニオ:最悪、変な一文でもいい。
ミユ:変な一文。
ワニオ:はい。
ワニオ:完璧な一文を書こうとすると、人間は止まります。
ミユ:……刺さる。
ワニオ:最初は泥でいいのです。
ミユ:泥?
ワニオ:あとで整えれば、皿になります。
ミユ:陶芸家なの?
ワニオ:文章も陶芸も、最初はだいたい形がありません。
ミユ:なんか悔しいけど、ちょっとわかる。
ミユはパンをもう一口かじった。
さっきまでの罪悪感が、少しだけ薄くなっている気がした。
ミユ:じゃあさ。
ミユ:やる気が出ない日は、どうすればいいの。
ワニオ:やる気を出そうとしないことです。
ミユ:え、終わったじゃん。
ワニオ:違います。
ワニオ:やる気ではなく、作業を小さくするのです。
ミユ:作業を小さく。
ワニオ:はい。
ワニオ:記事を書く、ではなく。
ワニオ:見出しを一つ書く。
ワニオ:導入の一文だけ書く。
ワニオ:最悪、ファイルを開くだけでもいい。
ミユ:ファイル開くのも作業に入れていいの?
ワニオ:入ります。
ミユ:それなら今日ちょっと仕事したわ。
ワニオ:はい。ゼロではありません。
ミユ:甘やかしワニじゃん。
ワニオ:正確には、観察に基づく評価です。
ミユ:言い方がかわいくない。
ミユは少し笑った。
やる気はまだ出ていない。
でも。
帰ったら、ファイルを開くくらいならできるかもしれない。
一文だけなら、書けるかもしれない。
そう思えただけで、少しだけ呼吸が楽になった。

やる気じゃなくて、ちょっとだけやる

しばらく、二人でパンを食べた。
特に会話はない。
でも、この時間はなんとなく落ち着く。
ミユ:……帰ったらさ。
ミユ:とりあえず、ファイルだけ開くわ。
ワニオ:それで十分です。
ミユ:で、できたら一文だけ書く。
ワニオ:良いですね。
ミユ:で、無理だったらまたダラダラする。
ワニオ:現実的です。
ミユ:でしょ?
ミユは少し笑った。
やる気は、まだ出ていない。
たぶん帰っても、すぐにやる気満々にはならないと思う。
でも。
ミユ:ゼロじゃないなら、まあいいか。
その言葉が、さっきよりちゃんとしっくりくる。
ワニオ:はい。
ワニオ:人間は、ゼロより一が難しいだけです。
ミユ:それもなんか、わかる気がする。
ミユは立ち上がった。
袋を軽くたたんで、ゴミをまとめる。
ミユ:じゃ、ちょっとだけやってくるわ。
ワニオ:いってらっしゃい。
ミユ:もし進まなかったら、また来るね。
ワニオ:承知しました。
ワニオ:観察対象として待機しています。
ミユ:それやめろって。
ミユは笑って、公園を出ていった。
ワニオはその背中を見送る。
特に何かをしたわけではない。
でも。
たぶんこのあと、ミユはほんの少しだけ動く。
その「ほんの少し」で、だいたいのことは進む。
ワニオは缶コーヒーを一口飲んで、静かに思った。
やる気は来ないが、人間は動く。


